どうして、同じ本が2冊もあるのかな😇
久しぶりに、中野京子さんの『ヴァレンヌ逃亡事件 運命の24時間』を読みました。
数年に一度、読み返す本です。
多分、ドラマに飢えてくると読み返したくなるのだと思います。
世の中が便利になればなるほど、「会えない」と連呼する歌はしらけて聞こえるし、ドラマも映画も何だか味気のないものが多くなったように感じます。
とはいえ、不倫のような道ならぬ愛をドラマを描けば、バッシングの可能性大だし。
作る方も大変だろうなぁ。
とはいえ、心を揺さぶられるようなドラマには、「不自由」「不便」が付きものなんだと思います。
この本の面白さは言うまでもなく、中野京子さんの文章を運ぶ絶妙なテンポ感と、魅力あふれる言葉選びにあります。
本来なら、ヴァレンヌ逃亡が始まったと同時に退場となったフェルゼン。
だけど、アントワネットの物語にフェルゼンがいなければ、それこそ砂糖の足りないあんこを食べているようなもの。
ところどころに二人のロマンチックなエピソードを織り交ぜながら、パリから追ってくる見えない不穏に怯える、狭いベルリン馬車の中での心理戦。
映像として脳裏に浮かぶほど、スリリングです。
私は中野京子さんの本が大好きで❤︎
メロディーメーカーならぬ、ストーリーメーカー。
歴史物は、動かすことのできない絶対的な事実の隙間を、どう創作していくかがキモになると思うのですが、その部分の作り込みが巧みなのです。
例えば、フェルゼンがヴァレンヌ逃亡の共犯者としてフランスから指名手配を受け、顔も知れ渡っている中、命の危険を冒してまでチュイルリー宮殿に潜り込んだ夜。
中野京子さんは、こんなふうに書いています。
「従僕に変装したフェルゼンは、魔法のようにチュイルリーのアントワネットの寝室へ到着。
恋人たちは、奇跡の一夜を過ごした。
この上なく不幸な恋人たちにしか知りえない
この上なく幸福な一夜、最後の一夜を」

この夜についての見解は人それぞれなのですが、それはまた別の機会に触れるとして。
ここの言葉運びが、ただ美しいだけではなく、声に出して読んでもリズムが良いのです。
中野さんの数ある名フレーズの中でも、私はここが一番好きかもしれません。
シェイクスピアがロミオとジュリエットに書いた、プロローグのようだと思います。
とても有名な逃亡劇なので、その詳細はここでは割愛しますが、スリルと煌めく文章が同居する、実際にあった物語。
この逃亡を境に、マリー・アントワネットをはじめ、王家の運命は大きく変わっていきます。
華やかな宮廷生活から、やがてギロチン台へ。
その大きな転換点となった事件なので、マリー・アントワネットに興味がある方には、お勧めしたい一冊です。
そして、この本で私がもう一つ面白いと思ったのが、巻末に収録されている林真理子さんとの対談です。
特に、絵画の鑑賞についてお話しされているところが「なるほど!」でした。
西洋美術は、必ず宗教と結びついていて、そこには隠された意味があるということ。
欧米で積み上げてきた歴史背景を、全く文化の異なる日本人に「見たまま感じればいいんだよ」なんて言ったところで、無駄なことだと。
ここを読むたびに、昔上野にギュスターヴ・モローを見に行ったことを思い出します。
そのとき、自称ドラクロワ好きの彼が、まさに同じようなことを言っていたな、と。
一緒に見てもつまらないから、別行動だったっけ。
でも、本当にそう。
歴史も、絵画も、そこにあるものだけを見るのではなく、その後ろにある物語を知ることで、見えるものが深くもなるし、変わってもくる。
学びや興味は枝葉となっていくものだと、いつも思います。
面白いですよね。
